自分の中、自分の外、画一的世界

 

マルセル・デュシャンの展示を見に行った。

 

彼は前衛芸術家として知られる。20世紀美術の超有名人。

「泉」は知っている人が多い。

f:id:fukaerichan:20181113135027j:plain

 

それまでよく知らなかったが、私的にはデュシャンはこんな

 

物事は、工業製品は、そこにあるだけで、「そこにある」「見られる」「存在する」という役割をになってしまう。

彼は物と人とのそんな関係性に目を向け遊んだのだ。彼が美術館に作った部屋は中にマネキンが横たわっていて、客が覗き見をするようになっている。覗く人、覗かれる物という関係がここにある。

トイレの便器など、大量生産される工業製品を展示することが彼のスタイルだが、彼はその遊びを工業製品以外のあらゆる作品にももたらしていた。

彼はおぼっちゃまだ。あらゆる思想や芸術を学び、技法として試していたが、それを経て彼の感じる本質に行き着いた。周囲を観察し、自らを追及すると、自分・他人・物・それらとそれらの接続 などが浮かび上がって見えてくる。

 

共感した。

 

電車に乗ると、シートやつり革や床があって 今周りにあるのは机とスクリーンと窓ガラスとタオルとあとあとあと

 

私はこれらを見ていることをたまに意識する。そして私は違和感を抱く。

私は色々な観念がぐちゃぐちゃになった夢を見る。ビジュアルも音も一般には通じない世界だが、自分の率直な感覚そのものが広がっている。夢から覚めた現実は、多くの人に通じるように、画一化されており、そのために言語や数学や道具が使われている。

私のためにではなく、社会や社会を構成して生きる人間のために存在しているそれらに対してはモヤモヤした違和感がある、それを認識する面白さもある・・

当然、主に自分の経験から自分の感覚は出来上がるが、自分の感覚と、目の前に広がる世界には乖離があって、それを絶望のように感じることもある。

 

マルセル・デュシャンは結果的に注目され、影響を与える人物になったが、社会の枠組みの中で、孤独を感じていたんではないだろうか。

そして今も孤独だ。