他人の不幸がしんどい

具合が悪く、大学の医務室に行ったら友達が偏頭痛でめちゃくちゃ苦しんでいた。

 

彼女はベッドに横になっていて、カーテンがかかっているので姿は見えないが、太刀打ちできない心身へのダメージにうめいたりわめいたり、それでも全身逃げ場のない苦しさを味わい続けていた。

 

私は辛そうな人を見ると結構泣く。重い偏頭痛の経験はないが、たとえ自分が偏頭痛に苦しんでも泣くことはないだろう。でも人が偏頭痛で苦しむのを見て泣いた。

 

あーその症状全部私に乗り移ればいいのに、と思った。

他人の不幸が辛いのだ。

 

他人の感情や感覚は自分の経験の範囲で共感できる、が、実物を感じ取れない。

自分に起きたことなら自分で受け止めるが、他人のことは受け止めることができない。

他人の辛さを感じたり想像したりしても、受け止めて自身の中で消化する作業ができないので、涙になって溢れてくる。

 

自分自身も具合が悪く医務室にいることの要因が、先日知人に取られた態度にあまりにショックを受けてしまったことだ。私のことを尊敬してるとさえ言う人なので、それはショックだった。

知人に自分の率直な感情を語ったら、普通そんなこと思わないとか、そもそもおかしいとか、そんなようなことを言われて感情・感覚そのものを否定されてしまった。

しかしその感情や感覚はここにあるじゃないか、どんなに人と違う感覚を持っていようと、ここに自然と湧き出てしまうじゃないか。

だから何よりも尊重するのだ。たとえ理解できない相手や嫌いな相手でも、そこにある心の動きは否定のしようがない。

 

それっぽっちのことで〜というようなことで苦しむ人、辛くなる人、もしくは喜ぶ人がいても、具体的事実だけでなく、どう感じているかを尊重することは譲れない。

 私は人が嫌な思いをするのが嫌いで、人が良い思いをするのが好きだ。