夢をみて、感じ取れさえしなかった寂しさを感じきった経験

 内容を覚えていようといまいと、夢から目覚めると、思考が整理されていたり、何かを強く感受していたりする感覚は明らかにここのところよくある。

 

四年前、高校一年の時にみた夢は寂しさを詰め込んだような夢だった。

寝起きはよくわからなかったが、日中その夢が気になって悶々として、イメージを何度も呼び起こしながら考えて、次の夜ベッドで泣いた。

 

この一日の出来事を経て、私の私自身の捉え方や寄り添い方が変わった。

その夢は自分が感じてきた寂しさをこれでもかと映していた。

保育園の頃からいじめを受け、小学校では変人と言われないように不自然に装って、中学生の頃には親から私が苦しむよう仕向けられてしまう。

今まで信じられる人間がおらず、孤独感を無意識に蓄積していたようだ。しかしそれでは自分を信じればいいのでは?と、この日から自らの感覚を重んじるようになった。そして今に至っている。

意識することさえなかった寂しさのような感情を一気に表し、一気に感じきって、一気に受け入れた、衝撃的な体験だった。その日はものすごく寂しく、またとても晴れやかだった。

子供向けの画集やシュールなアニメなど、保育園児以下の頃に好きだったものを、これが10年くらい忘れていた私の感覚だと急に思い出した。

あぁ私はこれらの状況からこんな風に寂しかったんだと捉えたことから、率直な感情に敏感になりながらも、それを感じている自分を客体的に認識する俯瞰の能力をこれを機に得て、初めて自分自身が一人の人間として浮かび上がった。これから自分を信じよう、好きなものを好きでいることは美しいことで、そんな自分が大好きだとその時思った。自身を好きとか嫌いという観念すらそれまでなかった。

そして強く心に留めている、他人への尊重の意識もこの時から始まった。寂しいだけでなく、傷ついてきた。親に尊重されなかった。これからはそこから守られるためにも自分が自分に寄り添おう。そして同時に人を傷つけず、歩み寄ろう。その行為こそが自身への尊重なのだ。