デンマークの制度があってもデンマークにはならない

友人がデンマークの教育を学びにツアーに参加したので、先々月その報告会に行った。

 

北欧の教育は評判が良い。デンマークの教育のデンマークの教育たる所以を彼女たちは考察した。

デンマークの人は子供の頃から俯瞰的に自分を位置付けて理解しているということだった。

というのも、日本でいう幼稚園に当たる施設では、子供どうしの喧嘩が起きると、先生が「相手はなんで嫌がったと思う?」と問う。こんな教え方がよくあるみたいな話だったと思う。

また、ゴミは日本のように収集車がくる訳ではなくて、自ら所定の場所まで運ばないとならず、結構めんどくさいにもかかわらず、ちゃんと個々で運ばれて処理されているという。100年後のデンマークの土にちゃんと還すみたいな考え方があるそうだ。

 

俯瞰とは言っても自分を他人から見た視点ということだろう。自身を客体化してるわけじゃない。私が思う俯瞰は、直感的な自分の上にもう1つ分析的な自分を設定するっちゅうことだった。あくまでこれは自分本位だが、この話を聞く限りではデンマークの人たちは他人本位だ。

それって結局、神の存在によるところも大きいんじゃないかと思った。特定の神を信じる人は、その神からの視点を意識してるだろう。

イスラム教徒は一日に5回礼拝を行う。断食もする。それはその行いを神が見ているから

プロテスタントが国教とはいえ、国民の意識にどれほど根付いてるかは実際推し量る由も無いが、日本人にない視点が国民にあるとすれば、教育制度だけの問題ではないだろう